東京高等裁判所 平成10年(ネ)4897号 判決 1999年10月21日
控訴人
静岡県
右代表者知事
石川嘉延
右訴訟代理人弁護士
平井廣吉
同
高山幸夫
同
黒木辰芳
右指定代理人
瀧亨司
外五名
被控訴人
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
古賀正義
同
小林直人
同
有賀正明
同
前田知克
同
中山貞愛
同
葉山岳夫
同
富永赳夫
同
長谷川幸雄
同
田村公一
同
西村文茂
同
一瀬敬一郎
同
野田房嗣
主文
一 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
控訴棄却
第二 本件事案の概要は、原判決の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決書一二頁九行目の「違法」を「違法、有責」と改める。また、被控訴人の控訴人以外の一審被告らに対する請求はいずれも棄却され、右被告らに対する判決は確定している。)。なお、当審において控訴人が控訴理由として主張する主張の要旨及びこれ対する被控訴人の認否反論の要旨は、以下のとおりである。
一 控訴人の主張
1 静岡県警が本件犯罪事実を公表したことについて、静岡県警が右公表事実を真実と信じたことには相当の理由がある。
原判決は、右相当な理由が認められない理由として、①大澤らからの事情聴取が不十分、②被控訴人の政経事務所及び後援会事務所(以下、特に区別の理由がない限り単に「被控訴人事務所」という。また、政経事務所については、被控訴人は昭和五七年には静岡弁護士会に登録替えしていることから、以下「法律事務所」ということにする。)並びに三岡司法書士事務所の関係者並びに被控訴人の妻甲野春子からの事情聴取不十分、③被控訴人事務所日誌に基づく裏付捜査不十分、④領収書についての捜査不十分、⑤犯行の動機についての捜査不十分を指摘する。
なるほど、原判決が指摘するとおり本件事件の周辺の人物のうち静岡県警が本件事件の送検時までに取調をしなかった人物や、事情聴取はしたが供述調書まで作成しなかった人物があり、また、事実関係が解明できなかった点もある。しかしながら、原判決が指摘する未解明の点が残っていたとしても、それは被控訴人の領域内で生起した事実であり、どれほどの時間と労力をかけて捜査したとしても、不明点の解明はほとんど不可能であると見込まれた。また、六五〇万円の現金がいったん被控訴人の手元(後援会事務所)に入り、その後二〇〇万円だけが外にでていったと判断すべき証拠があったのに対し、被控訴人は、これを否定する合理的な主張は一切せず、かえって、裏付け捜査によって容易に覆滅するような主張、すなわち、杉山及び石井が段取りにしたがって現金六五〇万円を三岡司法書士事務所に届けたはずである旨の主張しかなしえなかった。したがって、静岡県警において、右六五〇万円と二〇〇万円の差額である四五〇万円は被控訴人のもとにとどまっていると信じるに足りる証拠は揃っていると判断できたものである。
(一) 前記①の点については、まず、被控訴人の「段取りどおり石井、杉山が現金を三岡司法書士事務所に届けたはずである」旨の供述は、静岡県警が既に石井、杉山両名から事情聴取し、同人らが三岡司法書士事務所に現金を届けた事実のないことを確認し、その旨の供述調書(乙三二号証、乙三八号証)を作成していたのであって、被控訴人の右供述は矛盾、破綻を来していたものである。
次に、本件捜査の端緒は、昭和五七年四月ころ、乙野次郎の告訴(告訴代理人弁護士被控訴人)にかかる丙野の横領事件の捜査中に、参考人として事情聴取した大石の供述から乙野次郎から根抵当権設定登記の抹消の対価として受け取った金額が一五〇万円程度であったことがたまたま明らかとなったことと、乙野次郎の負債整理にかかわっていた被控訴人が乙野宛に提出した監査証明書(乙二号証の一部)には大石及び小長谷豪には根抵当権設定登記等の抹消のため六五〇万円が支払われたと記載されていたことから、同年五月下旬ころ、静岡県警において四五〇万円が被控訴人の下で行方不明になっていると推測したことにある。静岡県警は、当時身柄拘束中の丙野から任意に事情聴取したところ、昭和五二年一二月一三日に大澤が被控訴人から二〇〇万円程度を受け取り、内一五〇万円程度を中島屋で大石に交付して根抵当権設定登記の抹消をしてもらった旨供述したことから、差額の四五〇万円が被控訴人の手元に残っているのではないかという業務上横領の容疑が生じたものであり、原判決がいうような被控訴人と利害が対立する大澤や丙野の供述が端緒となったものではなく、いわば全く偶然に被控訴人への容疑が浮上したものである。原判決は、大澤の供述の信用性について右の点を軽視するもので合理性を欠く。
また、三岡の供述については、静岡県警は、昭和五七年九月七日、「一二月一三日に三岡司法書士事務所で金銭の受け渡しが行われた」旨の三岡の供述を得ていたが、これに先立つ大石、大澤、丙野、中澤らの供述から金銭の引き渡しは、右同日中島屋で行われたとの判断をしていたことから、三岡の右供述は記憶違いではないかとの疑問を持っていた。静岡県警は、さらに捜査を進め三岡司法書士事務所での金銭の授受はなかったとの心証を強めていったため、最終段階にいたり、消極証拠である右三岡供述の真否を確かめるべく、同年一一月五日、再度の事情聴取に及んだが、三岡はその際にも前回どおりの供述をしていた。しかし、たまたま帰宅した三岡の妻三岡玉枝から昭和五二年一二月一三日には金銭の受け渡しはなかったとする供述を得たことから(三岡玉枝の供述調書は三日後の一一月八日に作成されている(乙三七))、再度三岡に質して、供述調書(乙三六号証)を作成した。継いで、一一月七日、再度三岡から事情聴取し、「一二月一三日には金の受け払いはなかったように思われる。」「石井、杉山から一二月一三日にお金を受け取った記憶はない。」旨の供述調書(乙三五号証)が作成された。三岡に対する取調の経緯は、右のとおりであって、何ら違法なものではないし、三岡の供述の変遷には右のような理由があったものである。
(二) 前記②については、静岡県警は、送検前にも別紙「原告事務所及び三岡事務所の事務員からの捜査状況一覧表」(以下「別表」という。)記載のとおり、相当数の被控訴人事務所関係者などから事情聴取している。しかしながら、これらの者からは、一二月一三日当日の金の流れの真相の解明に資するような供述は一切得られなかった。もともと原判決が指摘する事務所関係者から真相究明に資する供述を得られる可能性は極めて小さかったのである。原判決は、関係者の忘失によってもはや明らかとなし得ないか、被控訴人か被控訴人の関係者以外には知り得ない領域の問題をとらえて、これを明らかにすべく、真相解明に資する供述が得られる可能性の大小にかかわらず、考えられる裏付け捜査はすべて完壁に行うことをいうに等しいもので誤りである。
たとえば、甲野春子については、静岡県警において同女は、被控訴人と異なる供述をするはずがないと判断した結果であり、仮に同女が被控訴人と同じ供述をしたからといって被控訴人の供述の信用性を高める効果は少ない。また、岡村節子については、昭和五二年九月二八日に捜査員が都内に赴き、本件への関与を含めて聴取し、送検後被控訴人が当初の供述を翻し、三岡司法書士事務所に被控訴人事務所の女子事務員に解決金を届けさせた旨の供述を始めたため、再度事情聴取と供述書の作成を試みたが、同女から拒否され続けた。同女は、最終的にも被控訴人の供述のとおりに現金を届けたとは供述していない。したがって、仮に静岡県警が公表前に同女から事情聴取し得たとしても、静岡県警の公表の趣旨を左右する事実を聞き出せた可能性はなかったといえる。
(三) 前記③については、被控訴人は昭和五七年一一月四日の取調では、事務所日誌(甲第一五号証)に基づく現金授受に関する詳細な供述はしていない。被控訴人は、右取調においても女子事務員に現金を三岡司法書士事務所に届けるよう指示したことが真実あったなら、そのようなことを忘れていたはずはないにもかかわらず、かかる供述は全然していない。また、被控訴人は当日取り調べに当たった野末に対し、事業所日誌を自己に有利な側面でのみ活用すべく、掌で右事業所日誌を覆うようにして特定の部分だけが野末の目に入るように示したに過ぎない。静岡県警において、右事務所日誌を任意提出させることは、期待しうる状況ではなかった。また、右事務所日誌には、一二月一三日に大澤らが三岡司法書士事務所で騒いだ後に、被控訴人は三岡司法書士事務所に電話して大澤と話をしたとの事実(乙三七)は記載されていないうえ、被控訴人は当時の弁解は「かねての段取りのとおり石井及び杉山が現金を三岡司法書士事務所に届けたはずである」というものであったから、事務所日誌の提出を受けなかったことによる捜査上の影響はなかったということができる。
次に、送検前の被控訴人に対する取調は、右昭和五七年一一月四日が最後であるが、その供述にかかる被控訴人の弁解は前記のとおりであり、さらに、当日杉山が被控訴人の後援会事務所に事務処理結果の報告と領収書の交付のためにきていたが、被控訴人が午後五時少し前に被控訴人の法律事務所を訪れていた大澤と長時間にわたって話をしていたので、待ちきれずに、領収書をおいて帰った旨具体的、確定的な供述をしていたものである。ところが、静岡県警はこれに先立つ同月一日に杉山から、同月二日に石井から、同人らが当日(一二月一三日)三岡司法書士事務所での現金の授受には全然かかわらなかったとの具体的、明確な供述を得ていた(乙三二、三八)。右の状況下では、捜査官に対する被控訴人の弁明は、客観的で動かしがたい証拠である石井、杉山の供述と全く反し、真実味のないものであり、しかも、これが後に「女子事務員に指示して、三岡司法書士事務所に現金を届けさせた」という方向に変遷するということは予測できなかったものである。右のような捜査結果から判断して、被控訴人の態度が右のようである限りこれ以上取調を続行する意味はないと判断して、被控訴人に対する取調を打ち切ったものである。もっとも、原判決も指摘するように現金がいったん被控訴人の手許に入った後の現金の働きに不明確な個所があったと認められるから、これをすべて明確にし得て初めて、被控訴人に対する横領の容疑が確定的に明確となるとはいえるが、この点について被控訴人は前記の弁明に終始していたので、静岡県警としては被控訴人に対する取調ではなく、他の間接証拠により立証しようとしたに過ぎない。静岡県警において被控訴人の防御権を不当に侵害したということはできない。
(四) 前記④について、原判決は領収書の裏付け捜査が不十分である理由として、送検前に領収書に指印が押捺されていたことからその指紋照会が行われていないことを指摘している。しかしながら、本件の端緒は、丙野に対する横領事件の捜査中に大石が本件で問題となっている根抵当権設定登記の抹消料として授受したと供述する金額と静岡県警が乙野三郎から領置した監査証明書に記載されている右登記の抹消料として支払われた金額及びそれに添付されている領収書二通(大石名義及び小長谷名義)に記載されている金額が異なっていることにあることは前記のとおりであるところ、静岡県警は大石及び小長谷から事情聴取し、右各領収書は大石及び小長谷以外の者によって偽造されたことが判明し、大澤及び同人の内妻猪原に事情聴取したところ、大石名義の領収書は猪原が大澤の依頼で記載したこと及び小長谷名義の領収書は誰に偽造させたかは記憶にない旨の供述を得たものである。大澤の供述は大石や小長谷の供述とも矛盾はなく、信用性は高いと認められたのであって、送検前に指紋照会しなかったことが捜査不十分と指摘されるようなものではない。なお、後に指紋照会した結果によれば、右領収書の指印は大石名義のものは猪原、小長谷名義のものは大澤の指紋と一致している。
つぎに、原判決は、右偽造領収書がどのような経路で被控訴人に渡ったかについて裏付け捜査をしていない旨を指摘するが、前記大澤らの供述によれば右各領収書は偽造されたものであり、かつ、三岡及びその妻三岡玉枝は、両人らは右のような領収書はみたことがない旨供述していたことなどからすれば、右領収書が本件当日に三岡司法書士事務所を経由して被控訴人事務所に届けられ、これを被控訴人が事務員から受け取ったとの被控訴人の供述は、送検前には証拠上あり得ない状況になっていた。このような証拠上明白な事実についてまで、個々の裏付け捜査がなければ捜査不十分とすることは不当である。
(五) 前記⑤については、動機は内心にかかわるものであり、被疑者本人が犯行を否認している段階では、同人の供述以外の証拠によってこれを推認するほかないものである。静岡県警は、被控訴人は、昭和五〇年に静岡市長選挙、昭和五一年には衆議院議員選挙にそれぞれ立候補して落選し、本件当時も再度次期衆議院議員選挙に向け、後援会支部を設置して活動中であったことは公知の事実であり、事務員等を自費で雇用して活動していたこと、乙野三郎から選挙活動資金として一〇〇〇万円を借り入れていたことなどから、被控訴人は選挙活動資金が必要であった可能性があると判断していたものである。
2 三岡の昭和五七年九月七日付供述調書を検察官に送付しなかったことは違法ではない。
前記のとおり静岡県警は三岡の右供述調書は他の多くの証拠と矛盾し、信用性の低いものであることが、証拠上明白となったため検察庁に送付しなかったものであり、右の静岡県警の判断は合理的裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。右調書の不送致が被控訴人との関係で違法評価を受けるべきものではない。
また、静岡県警が乙野次郎に告訴を勧めたことは違法ではない。静岡県警はすでに述べたように大石や、小長谷などいわゆる担保抹消料の授受に関与した者などの調査をした上で、被控訴人の横領容疑を認定し、しかも、弁護士の職にある被控訴人の立場を考慮し、乙野次郎に、被控訴人の保管を依頼した間に不明金が生じていること及び告訴するかどうかについては、被控訴人への委任を解約した後に、当時現に委任していた複数の弁護士に対応を相談するよう教示していたものであり、静岡県警が告訴を勧めたことに違法はない。
二 被控訴人の右控訴人の主張に対する反論
控訴人の「真実と信ずるにつき正当の理由があった」との主張及び本件捜査に違法はなかったとする主張はいずれもこれを争う。原判決の判断に誤りはない。
1 本件における金銭の流れについては、三岡や被控訴人の供述と大澤らの供述が対立していたものであり、両者は二律背反であるところ、静岡県警は大澤らの供述に依拠したに過ぎない。捜査の端緒が、大澤、丙野の供述ではないとする主張は否認する。また、静岡県警は、中澤については捜査から外すべく狂奔し、三岡事務所の同在も認めていない。
2 三岡夫妻の取調の推移についての控訴人の主張は争う。控訴人は、三岡の昭和五七年一一月五日の取調について、「取調べ担当者は、訴外三岡賢吉から二度目の供述調書を作成する際に、『前回の調書は不要になったので、没にする。』という趣旨のことを告げた」旨主張していたものである(控訴人昭和六一年五月二四日付準備書面)。なお、同月五日、三岡玉枝がたまたま帰宅したというのは虚偽である。
3 三岡司法書士事務所や被控訴人事務所の各関係者に対する捜査について、控訴人は「金の流れに」についての供述は一切得られなかったと主張するが、甲野春子及び岡村節子が真相解明のため焦点化したが、静岡県警はこれを取り調べなかった。金の流れを捜査しない本件は取調の常道に反する。
4 被控訴人が昭和五七年一一月四日の取調において、女性事務員に対し三岡司法書士事務所へ現金を届けるよう指示したことを想起し得なかったことについては、静岡県警において告訴にかかる事実の解明には具体的にいかなる点を究明すべきかを摘示することがなかったのであり、静岡県警の捜査官の取調方法にこそ違法捜査の実態がある。被控訴人は、同年一〇月二九日の取調開始により、約五年前の昭和五二年一二月一三日当日の処理関係について記憶状態のまま、自然に、昭和五七年一一月三日、四日の取調に臨んだが、当日の処理の段取りについては直ちに想起できたが、長期の潜在記憶である三岡司法書士事務所の処理経過については想起障害を当初生じた。静岡県警の捜査官は、被控訴人の貯蔵情報を検索させないよう、復元を鋭意妨げたのである。静岡県警の被控訴人に対する取調の打ち切りは、捜査の常道に反し、被控訴人の防御権も侵害するものであり違法である。
5 また、控訴人は、事務所日誌については、同月三日にはその写しを、同月四日にはその原本を提示し、野末ら捜査官はこれを手に取って見ている(なお、被控訴人は、他の事件に関しては弁護士として職務上守秘義務を負っている。)。事務所日誌には「三岡先生よりTEL入った。至急連絡とりたいとのこと」との記載があり、被控訴人はこの緊急連絡を伝えられ、三岡司法書士事務所に電話を入れた。右事務所日誌は、ふしみや事務所在勤の事務職員がその都度即時記載したものであり、事務所外で被控訴人が三岡司法書士事務所に電話したことが記載されていないのは当然のことである。静岡県警は右事務所日誌の任意提出すら求めなかったものである。右事務所日誌の提出を受けなかったことは捜査上の影響がなかったとする控訴人の主張は強弁にすぎない。
6 大澤、猪原は昭和五七年八月一七日の取調で領収書偽造を自供しているが、静岡県警は捜査の常道に反して、両名を被疑者として立件せず、終始参考人扱いとした。また、小長谷名義の領収書関係について、控訴人は、主犯の大澤に対する捜査不十分を自認している(乙三一の三五頁)。被控訴人が取調において領収書の偽造を指摘された時より、この点の解明の必要性を指摘したにもかかわらず、静岡県警はことさら捜査をしなかった。当日三岡司法書士事務所で金がこないと騒いでいた大澤が、同人と猪原が偽造した領収書を同事務所内で現金六五〇万円と引換に交付して行使した重大事実は、捜査当局が掌握しながらことさら追及しなかった大澤らによる犯行である。
7 本件横領容疑の動機に関する控訴人の主張は、当時被控訴人がおかれていた状況に照らし、犯行を行う動機が全くないにもかかわらず、あえて被控訴人の犯行と断定し、違法な捜査を強行した態度を自ら露呈するものである。選挙活動に従事する公人であれば、常時、自身を固く律さなければならないのであり、依頼者から預かり中の金員をあえて横領する動機にはならない。
第三 当裁判所の判断
一 争点に対する判断の前提となる事実については、以下のとおり付加、訂正するほかは、原判決書五三頁九行目から同九六頁六行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決書五四頁一行目の「(一)」の次に、以下のとおり加える。
「 乙野次郎は、昭和五二年三月ころ倒産した静岡プレスの債務について保証ないし担保提供していたことから、同年四月ころ同社の債権者である中駿商工業協同組合、中澤、大石、金村らに対する保証債務は物上保証債務を、同人所有の不動産を売却して整理することを丙野に依頼し、さらに丙野を介して大澤にも債務整理を委任していた。ところが、丙野は、右債務整理の一貫として乙野次郎所有の土地を売却して約七〇〇〇万円の返済原資を作ったが、そのうちの五〇〇〇万円ほどを自己の経営する渡建材の経営資金に流用したため、乙野次郎の負債整理は進展しなかった。
乙野次郎は、弁護士である被控訴人にこの件の処理を相談したが、同一一月一三日、自殺を企て家出をした。石井からの連絡を受けた被控訴人は、同月一四日、乙野宅に赴き、同席した大澤に対し、被控訴人が事件処理を委任されたのであるからこれ以上この件に介入しないよう言い渡す一方、丙野に対しては、横領事実を認めさせ、その賠償金の支払いを求めた。乙野次郎は、同月下旬ころ、被控訴人に対し、改めて負債整理と丙野に対する横領金回収の件を委任した。被控訴人は、同年一二月一日丙野から横領金の回収として五〇〇万円の支払いを受け、同月七日には中澤から解決金として二〇〇万円を拠出させて、これらを被控訴人名義の静岡銀行本店の預金口座に入金したが、同月八日、弁護士報酬名下に二〇〇万円を払い戻して受領し、また、同月一二日乙野次郎が親戚から借り受けた八〇〇万円を右口座に振り込ませ、合計一三〇〇万円を乙野次郎のために預かり保管していた(以上につき、争いのない事実のほか甲七三、八三、一九〇、乙一九及び弁論の全趣旨)。
被控訴人は、丙野と交渉して分割弁済の合意を成立させたが、丙野がこれを一部履行しなかったため昭和五五年一二月一九日、乙野次郎の代理人として丙野を業務上横領罪で静岡県警に告訴した。」
2 原判決書七四頁一一行目の「大石巡査部長の前記言動は、」から同七五頁三行目の「可能性があり」までを「大石巡査部長の右言動は、三岡第一回調書を物理的に廃棄した趣旨とは断定しがたく」と改める。
3 原判決書七五頁七行目から一〇行目までを以下のとおり改める。
「(六) 岡村節子その他の被控訴人事務所事務員等に対する事情聴取(乙五四、七二ないし八二、原審証人野末)
静岡県警は、平成五年九月二八日、被控訴人法律事務所の事務員であった岡村節子から、本件業務上横領被疑事件について事情聴取し、その後再三にわたり事情聴取内容について供述調書を作成しようとしたが、岡村節子に拒否されたため、同女の供述調書は作成されていない。静岡県警は、右の他被控訴人後援会事務所の事務員原田武雄、堀越良雄、勝見隆司、児島良孝から同人らの稼働状況や昭和五二年一二月一三日の金銭の出入等について事情聴取し、供述調書を作成したが、いずれも右日時の金銭の出入等に関与せず、あるいは関知していないとするものであり、また、法律事務所で稼働していた弁護士興津哲雄にも事情聴取したが、同弁護士は本件にはかかわっていないというのであった。」
4 原判決書七六頁一行目の前に以下のとおり加える。
「 乙野次郎は、前述の経緯で弁護士である被控訴人に負債整理等を委任したのであるが、債権者中駿商工業協同組合との解決金額に関する被控訴人の言動や、当初は土地を売却することなく処理するといっていたのに、大段の土地を売却し、さらに昭和五四年には富ケ谷の土地も売却していること、右売却代金の内一〇〇〇万円について被控訴人から借入を申し込まれてこれを貸し付けたことなどから、乙野次郎や乙野三郎らは債権債務処理についての被控訴人に対する不満、不信を募らせ、乙野三郎の妻乙野夏子は昭和五六年になって他の弁護士に相談に赴いたりしていたが、乙野次郎は、昭和五六年六月八日、被控訴人を解任し、新たな弁護士(かつて被控訴人事務所に勤務していた中村順英弁護士ほか)を選任した(甲一〇〇、一〇一、一二三、一二四(以上いずれも枝番を含む)、一六九、乙二一、一〇〇、一〇一)。」
5 原判決書七六頁六行目の次に以下のとおり加える。
「 被控訴人は、控訴がされた昭和五七年一〇月七日、朝日新聞社静岡支局から告訴状を入手したので会見したいとの申し入れを受けて面談し、「なにが疑われているのかわからない。本件の弁護については実績を上げたと自負している。違法捜査には屈せず立ち向かう。」旨述べた。被控訴人は、告訴が受理されたことから、有賀弁護士に依頼し、告訴代理人の中村順英弁護士と接触してもらった。被控訴人は、当時の情勢に鑑み、その前から関係記録を葉山岳夫弁護士(本訴の被控訴人代理人でもある。)に検討してもらったりしていたが、また被控訴人自身同月一八日三岡司法書士を訪ねて、昭和五二年一二月一三日の三岡司法書士事務所の様子を尋ねたところ、同司法書士から、「当日お金がこなくていらいらしていた、女の子が持ってきたように思う、六五〇万円というような大金なら記憶があるが、一〇〇万円そこいらの金のように思う、したがってとくに印象にない」旨の話を聞いた(甲一九〇)。
静岡県警は、昭和五七年一〇月二一日から被控訴人の取調を開始する方針を決め、捜査官は、同月一九日午後三時過ぎころ被控訴人の自宅を訪れ、被控訴人の妻に対し、呼び出しの内容を告げて被控訴人に対する呼出状を交付しようとしたが、本人(被控訴人)に直接交付されたいとして受領を拒否され、同日午後六時前ころ被控訴人法律事務所に赴き呼出状を渡そうとしたが、事務員から被控訴人の許可なしでは受領できないとして受領を拒否された。さらに、同日午後九時過ぎころ被控訴人法律事務所前で被控訴人本人に対して、出頭時刻を同月二一日午後八時である旨告げて呼出状を渡そうとしたが、被控訴人は被疑者か参考人かはっきりしなければ受け取れないとして受領を拒否し、明日連絡をつけるようにする旨告げて立ち去った。被控訴人は、翌二〇日は在京し、井上正治弁護士に捜査弁護を依頼し、被控訴人の友人である西村文茂弁護士は他の弁護士に連絡し、新橋にある葉山岳夫弁護士事務所で対策会議を持った。なお、被控訴人は、当時の雰囲気から出頭すればそのまま収監されるおそれがあると感じていた。
静岡県警は、被控訴人との連絡調整の後、同月二九日被控訴人の取調をすることになった。当日被控訴人の担当の葉山弁護士から、報道陣が追尾するので取調場所を変更するよう要請がなされたが、結局当初の指定場所である「芙蓉荘」で取調が行われることになった(以上、甲一九〇、乙九六ないし九九)。」
二 争点1及び2の(一)に対する当裁判所の判断は、原判決書九六頁八行目から九八頁五行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
そこで、争点2の(二)(真実と信じたことの相当の理由の有無)について検討するに、警察が、本件のように告訴にかかる事件を検察官に書類送付ないし事件送致をした際に、特定人について犯罪の容疑を認める旨を公表した場合において、警察が当該犯罪容疑を真実と信じたことについて相当の理由があったといえるためには、警察が捜査機関であることに鑑みれば、警察としてその公表時点までに通常行うべき捜査を尽くし、収集すべき証拠を収集した上で、それらの証拠資料から当該犯罪について有罪と認められる嫌疑があることが必要であるが、右のような捜査を尽くし、収集すべき証拠を収集した上でそれらの証拠資料を総合勘案すれば、右公表の時点において、合理的判断過程により当該犯罪について有罪と認められる嫌疑があると認められれば足りるものと解するのが相当である。
1 前記一に認定の事実と同所掲記の各証拠及び証拠(乙九二、原審における原審相被告酒井、同植松、同大石のほか個別に掲記)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 本件捜査の端緒
乙野次郎の負債整理の委任を受けていた被控訴人は、昭和五五年一二月一九日、乙野次郎の代理人として丙野を横領容疑で告訴した。静岡県警は、昭和五七年四月ころ、右告訴事件の捜査中に、参考人として事情聴取した大石から乙野次郎から根抵当権設定登記の抹消の対価として受け取った金額が一三〇万円程度であった旨の供述を得たこと、一方、右告訴事件に関して乙野次郎の長男乙野三郎から任意提出を受けていたスクラップブックの中にあった乙野次郎の負債整理にかかわっていた被控訴人が乙野宛てに提出した監査証明書(乙二号証の一部)には大石及び小長谷には根抵当権設定登記等の抹消のため六五〇万円が支払われたと記載され、小長谷作成名義の二五〇万円の領収書があり、その後大石作成名義の四〇〇万円の領収書(甲九三号証はその写し)が乙野次郎から提出されたことから、静岡県警は、同年五月下旬ころ、六五〇万円と大石に支払われた金員との差額が不自然であると考えた。そこで、静岡県警は、当時身柄拘束中の丙野から任意に事情聴取したところ、昭和五二年一二月一三日に大澤が被控訴人から二〇〇万円程度を受け取り、内一五〇万円程度を中島屋で大石に交付して根抵当権設定登記の抹消をしてもらった旨供述したことから、差額の四五〇万円が被控訴人の手元に残っているのではないかという業務上横領の容疑があるものと判断した。
(二) そこで、静岡県警はさらに捜査を進め、大石、小長谷、大澤、大澤の内妻猪原加代子から事情聴取したところ、大石から、前記大石作成名義の四〇〇万円の領収書を作成したことも、四〇〇万円を受領したこともなく、小長谷作成名義の二五〇万円の領収書も見覚えがないとの供述(昭和五七年七月三〇日)を得、結局大石作成名義の領収書は大澤の内妻猪原加代子が大澤に頼まれて作成したものであること、小長谷は、同任名義の領収書を作成したことも二五〇万円を受領したこともないことが判明した(小長谷名義の領収書は右各事情聴取当時には、作成者は明瞭でなかったが、後に大澤が作成したものであると判明した。)。大澤は、当初丙野から乙野次郎の負債整理を依頼され、大石ら債権者と交渉していたが、昭和五二年一一月になって被控訴人が乙野次郎から依頼を受けて同人の負債整理に当たるようになってからは、被控訴人から依頼されて大石と同人の根抵当権設定登記の抹消の交渉にあたっていたものであるが、静岡県警の右大澤に対する事情聴取(昭和五七年八月一七日、同年九月一日、同月七日)において、大澤は、昭和五二年一一月下旬ころ、被控訴人から大石と交渉して二〇〇万円以内で同人の根抵当権設定登記を抹消するよう依頼を受け、大石と交渉して一五〇万円で根抵当権設定登記の抹消に応じる旨の約束を取り付け、二〇〇万円以内で話がついた(二〇〇万円との差額は大澤において取得する予定であった。)旨被控訴人に報告したところ、被控訴人は大澤に対し大石への解決金二〇〇万円を渡すが、この件についての領収金額二五〇万円と四〇〇万円の領収書各一通を作成して欲しいと被控訴人から依頼された、同年一二月中旬ころ、丙野及び中澤とともに被控訴人の法律事務所に行き、被控訴人から二〇〇万円を受け取り、その足で中島屋に行き、大石に一五〇万円を渡して領収書を受け取り、大石と静岡市内の司法書士の事務所に行って、大石の根抵当権設定登記の抹消登記手続を依頼した旨供述した。中澤の供述(同年九月九日)及び丙野の供述(同年七月五日、同年九月一六日)の要旨は前記一認定のとおりであるが、静岡県警は、中澤から、被控訴人から大澤とともに大石の件について二〇〇万円位の枠内で交渉して解決して欲しいと頼まれ、同年一二月中旬ころ中島屋で大石と会った記憶があり、同ホテル一階ロビーで大石と交渉して、被控訴人から受け取ってきた二〇〇万円くらいから一五〇万円位を大石に渡した旨の供述を得、丙野から、昭和五二年一二月一三日、被控訴人の法律事務所で被控訴人は大澤に「これを大石に渡してください。」といって白っぽい封筒を渡した、右封筒には一〇〇万円が二束入っていたようにみえた、大澤は、封筒を受け取って中島屋に行き、大石に対し一五〇万円を渡し、大石は領収書を書いた旨の供述を得た。
(三) 静岡県警は、昭和五七年九月初め、それまでの捜査状況から、乙野次郎からの預り金を管理していた被控訴人名義の静岡銀行本店の預金口座から昭和五七年一二月一三日に一三〇〇万円が出金され、そのうちの六五〇万円は同日右預金口座に戻されているが、残りの六五〇万円は、預金通帳には支出名目に「大石」と記載され、また監査証明書にも大石及び小長谷に支払ったものとして処理され、領収書も存在すること、しかし、右金員については、大石が受領したのは一三〇ないし一五〇万円程度であり、小長谷は全く受領していない上、大石作成名義の領収書は偽造されたものであり、小長谷作成名義の領収書も小長谷の作成したものではないこと、右各領収書については、大澤は被控訴人から作成を依頼された旨供述していることなどから、被控訴人が乙野次郎の債権、債務整理名下に不正使い込みをしていると判断するに至った。その後の大澤、中澤、丙野に対する事情聴取の結果も前記のとおりであり、静岡県警の判断内容に副うものであった。なお、静岡県警は、同月三日には、前記被控訴人名義の預金口座の通帳に引き出された一三〇〇万円の内の六五〇万円の支出名目に「金村」と記載されていたことから、金村賢次郎から事情を聴取したが、同人は中澤から抵当権設定登記の抹消の交渉を受けたが金額が安くて拒否し、昭和五三年五月競売手続により自らが競落したもので、抵当権抹消の交渉は物別れになったとの供述を得、また、昭和五二年九月六日には、乙野次郎夫妻及び乙野三郎から事情聴取した(乙一六ないし一八、三〇、九五)。
(四) 大石の根抵当権設定登記及び小長谷名義の賃借権設定仮登記は、昭和五二年一二月一九日、同月一五日解除を原因として、三岡司法書士を代理人として抹消登記申請がされ、同日抹消登記された。三岡司法書士と被控訴人は生家が隣同士であったことなどから旧知の間柄であり、被控訴人は、これまでも登記手続等を同司法書士に依頼していた関係にあった。
静岡県警は、同年九月七日、三岡司法書士から事情聴取し、供述調書(乙五三号証)を作成した。三岡司法書士の供述要旨は前記一のとおりであるが、右の抹消登記手続に関しては、前もって被控訴人から登記手続と現金の受け渡しの仲介を頼まれており、昭和五二年一二月一五日、あるいはそのころ、三岡司法書士事務所で金の受け渡しがあった、背広を着た男と背の高い男が来たが、背の高い方の男が金を受け取る側であり、金が被控訴人から届かなかったため背の高い方の男がいらいらしていたが、昼近くになって被控訴人の事務所の人が金を届けてくれて、金銭と抹消登記に必要な書類が授受された、金額はよく覚えていないが、五〇〇万円、一〇〇〇万円という大金ではなく、せいぜい一〇〇ないし二〇〇万円程度であったというものであった(乙五三)。
右三岡司法書士の供述は静岡県警がそれまでの捜査から大石との金銭の授受の場所は中島屋であると判断していたことと異なるものであった。そこで、静岡県警は、同月九日に中澤から、同月一六日には丙野から事情聴取したが、前記(二)のとおりいずれも金銭の授受は中島屋で行われ、金額も一五〇万円程度であったとするものであった(乙二五、二九)。また、三岡司法書士の前記供述から被控訴人の事務所の事務員が現金を持参したとの話もあったことから、静岡県警は、右事務員にあたる可能性のあるものは岡村節子であるとの情報を入手し、同月二八日、同女から事情を聞いたが、同女は既に被控訴人事務所を退職し、東京都内で再就職しており、前記金銭の授受については判然とせず、事務所の仕事内容程度の供述にとどまり、必要以上のことは説明しないという態度であり、事情聴取したものの供述調書の作成には至らなかった。
(五) 乙野次郎や乙野三郎らは債権債務処理についての被控訴人に対する不満、不信を募らせたことなどから、乙野次郎は、昭和五六年六月八日、被控訴人を解任し、新たに中村順英弁護士らを選任していた。静岡県警は、前記のとおり昭和五七年九月上旬ころには、被控訴人には業務上横領の嫌疑が濃厚であると判断しており、乙野次郎に対してもその旨告げ、さらに、乙野次郎らに対して控訴を強く勧めた。乙野三郎らは、中村順英弁護士に告訴手続を依頼にいき、同弁護士は、当初これを断っていたが乙野三郎らの懇請により、大蔵弁護士などとも相談し、大石、中澤に対して、電話や直接面談して事情を聞いた上、被控訴人は昭和五七年一二月一三日、乙野次郎から預かり保管中の金員のうち四五〇万円を着服横領した旨の告訴状を作成し、乙野次郎は、同年一〇月七日、本件告訴をした。なお、右告訴状は乙野次郎名義で提出されているが、中村順英弁護士らは右告訴に関しても乙野次郎の代理人として行動せざるを得ないと判断して、告訴の直前になって乙野次郎から告訴に関する委任状を受領し、右告訴状は同弁護士らが提出した。なお、乙野次郎は、同年一〇月二六日、右告訴と同様事実について静岡弁護士会に対して被控訴人に対する懲戒申立を行った(甲一二三の一ないし五、乙三、六、八、一七、原審証人乙野次郎)。
(六) 静岡県警は、右告訴を受理した後、乙野次郎から告訴の経緯について事情聴取し、次いで被控訴人から事情聴取すべき呼出状を交付しようとした。その間にも、静岡県警は、被控訴人から乙野次郎に交付された前記監査証明書の作成者の香村正雄公認会計士、乙野次郎の担当税理士池永通人、乙野三郎の妻乙野夏子、乙野次郎の代理人中村順英弁護士及び石井からの事情聴取を行った、右石井の供述によれば、昭和五二年一二月一三日、被控訴人名義の静岡銀行本店の預金口座から一三〇〇万円を引き下ろしてきたのは、杉山らであることが判明した(乙二一、三四、七〇、九一、一〇〇)。
被控訴人に対する呼び出しについて若干の曲折はあったが、被控訴人の事情聴取は、昭和五七年一〇月二九日から同年一一月四日までの五日間行われ、合計七通の供述調書が作成された。被控訴人に対する呼び出しの経緯及び事情聴取における被控訴人の供述内容の要旨は前記一のとおりであるが、被控訴人の供述は、大石、小長谷関係の根抵当権設定登記等は解決金六五〇万円を大石に支払うことにより一切を解決し、その手続は三岡司法書士事務所で行う段取りとなっていた、当日の昭和五二年一二月一三日は、段取りに従って杉山、石井らに来てもらい、午前一〇時前に後援会事務所において右両名に段取りどおり処理するよう指示した、当日の段取りは、杉山と石井が被控訴人名義の静岡銀行本店の預金口座から一三〇〇万円(大石・小長谷関係六五〇万円、金村関係六五〇万円)を引き出し、被控訴人の後援会事務所で三岡司法書士からの連絡を待ち、抹消登記書類の確認ができた旨の連絡を受けたら三岡司法書士事務所に一三〇〇万円を持参し、右司法書士立会の上金銭の支払をし、領収書を受領するというものであった、当日午後五時少し前ころ、大澤が来て、大石については話がついたが、金村は話がつかなかったとの報告を受けたが、その間被控訴人の後援会事務所に持参していた杉山は待ちきれずに領収書を職員に託して帰ってしまった、領収書は事務員から受け取ったものであり、大澤から受領したものではない、当日は段取りどおりの処理がされたものであり、大澤は金銭の授受に携わる立場になかったというものであった。
(七) 静岡県警は、被控訴人の事情聴取と平行して、同年一一月二日から同月一一日にかけて被控訴人の後援会事務所の事務員(原田武雄、大村友子、堀越良雄、勝見隆司、児島良孝)から事情聴取したが、本件に関する供述は得られなかった(乙五四、七四ないし七七、七九、八〇)。
また、静岡県警は、同月六日、再度大石を事情聴取したが、前回同様大澤との現金授受場所は中島屋で、金額は一三〇万円ないし一五〇万円であるとの供述であった。
(八) 静岡県警は、昭和五七年一一月五日、三岡司法書士から二度目の事情聴取を行った(三岡第二回調書の要旨は前記一のとおりである。)。
三岡司法書士は、前回同様、昭和五二年一二月一三日か一五日に乙野次郎が権利者である抹消登記手続を行ったこと、被控訴人から三岡司法書士事務所で金の受け渡しを行うことを頼まれていたが、金がなかなか届かなかったので待っていた男がいらいらしたこと、ようやく金が届いたので待っていた男の一人に金が渡されたが、金額はせいぜい一〇〇万円程度であった、被控訴人から女の子が金を持っていくといわれていたので、金を持ってきたのは被控訴人事務所の女性事務員だと思うが、はっきりしない旨供述していたが、取調官の大澤らはこの事務所で金銭の受け渡しはなかった旨述べているかどうかとの問いに対し、私としてはこのとき金の受け渡しがされたと思うが確かなことではない、今考えると被控訴人事務所の女性事務員から金を受け取った記憶はなく、そういわれるとその日は金の受け渡しはなかったかも知れないが、一方事務所に来た男があれだけ金を待っていて、金を受け取らずに抹消登記に必要な書類だけおいて帰るということも腑に落ちない趣旨の供述をした(乙三六)。翌六日、静岡県警は前項のとおり再度大石から金銭は中島屋で授受した旨の供述を得た。
さらに、同月七日、三岡司法書士から三回目の事情聴取がされた(三岡第三回調書の要旨は前記一のとおりである。)。
このとき三岡司法書士は、当日背広姿の男が来て、次に背の高いやくざタイプの男(大石)が来たが、被控訴人事務所から金が届かないので、しびれを切らして口論となったので、私も被控訴人事務所に連絡を入れたが、なかなか連絡がつかなかった、その後のことははっきりしない、しかし、妻に聞いたところ、妻は「やがて被控訴人から電話がはいり、二人の内のどちらかと話をした結果、男達は今日は出直すといって帰ったのであり、金銭授受はしていないと思う」とのことであり、そういわれれば、被控訴人からは金銭の受け渡しを依頼されていたのであるから金銭授受があれば領収書をとるはずであるのにとっていないことからすると、当時三岡司法書士事務所では金銭の授受がなかったのではないかと思う、大石作成名義の四〇〇万円の領収書及び小長谷作成名義の二五〇万円の領収書は見たことがなく、同事務所で作成されたものではない、また石井や杉山は知らない旨供述した(乙三五)。
静岡県警は、同月八日、三岡司法書士の妻三岡玉枝から事情を聴取したところ、同女から、昭和五二年一二月一三日には二人の男が来たが金が届かず、被控訴人にも連絡が取れずにいたが、やがて被控訴人から電話が入ったので、男のどちらかに取り次いだが、話をした後、あっさりと帰っていったように思う、お金の受け渡しはこのときはなかったように思う、当時三岡司法書士事務所にいた柿崎みき(旧姓望月)及び沢森淳子(三岡玉枝の妹)に聞いてみたがこのときの様子は覚えていないとのことである旨の供述を得た(乙三七)。
また、同月一一日、元被控訴人事務所で弁護士活動をしていた興津哲雄弁護士から事情聴取したが、乙野次郎の債権債務の整理には携わっていないということであった(乙七八)。
(九) 以上の捜査を遂げた上で、静岡県警は、昭和五七年一一月一二日、被控訴人を業務上横領の容疑で静岡地方検察庁に書類送付し、翌一三日、本件広報活動を行った。
2 以上の捜査の経緯、前記一認定の事実及び証拠(乙三ないし七、九二、原審被告酒井、同植松、同野末)並びに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人が本件広報活動において公表した内容(被控訴人の本件業務上横領容疑)を真実と信じた理由の要点は以下のとおりであると認められる。
(一) 大石の根抵当権設定登記抹消の為の解決金(抹消料)の支払場所について、大石は昭和五七年四月九日の事情聴取において中島屋である旨供述しているが、右は被控訴人の本件業務上横領容疑が生じる前の段階の供述であること
(二) 右解決金の授受に関与した中澤、丙野、大澤らに対する事情聴取においてもいずれも右金銭授受の場所は中島屋である旨供述していたこと
(三) また、大石に支払われた解決金の額についても右関係者は一三〇万円ないし一五〇万円と供述し、また、大澤は被控訴人から二〇〇万円を受け取った旨供述して、丙野、中澤もほぼこれに副う供述をしていること、一方、大石作成名義の四〇〇万円の領収書は大澤の依頼で猪原加代子が作成したもので大石の関知しないものであり、また小長谷作成名義の二五〇万円の領収書も小長谷の関与しないものであって、同人は右金員を受領していないこと
(四) 三岡司法書士は、当初は三岡司法書士事務所で大石との一〇〇万円ないし二〇〇万円程度の金銭授受がされた旨供述していたが、その後、同事務所で金銭授受がなされなかったかも知れないと供述を変えたこと、同人は、右大石作成名義の四〇〇万円の領収書、小長谷作成名義の二五〇万円の領収書は見たことがないと述べていること
(五) 一方、石井、杉山の事情聴取から、昭和五二年一二月一三日に同人らは被控訴人の指示で被控訴人が乙野次郎から金銭を預かり保管するために開設した静岡銀行本店の被控訴人名義の普通預金口座から一三〇〇万円を引き出し、これを被控訴人事務所に搬入したが、そのうち六五〇万円は同日中に右預金口座に戻されていること、残額の六五〇万円については、右預金口座の通帳の写し及び監査証明書によれば、右同日大石への債務弁済及び根抵当権設定登記の抹消登記手続の処理のために支出されたものとされており、現に大石作成名義の四〇〇万円の領収書と小長谷作成名義の二五〇万円の領収書が存在していたが、右支出については大石には一五〇万円程度が渡っているに過ぎず、小長谷には全く渡っておらず、大澤の二〇〇万円を受けとったとの供述を前提にしても、四五〇万円の金員の所在、使途が不明であるといわざるを得なかったこと
(六) 被控訴人は、五日間に亘る静岡県警の事情聴取に際して、昭和五二年一二月一三日は、自分は金銭の授受に携わってはいないが、かねて関係者と打ち合せていた段取りどおり、杉山及び石井が前記払い出しをした金員を三岡司法書士事務所に届けて、支払いがされることになっており、杉山及び石井によって六五〇万円は全額大石に支払われたはずであるとの供述に終始したこと、しかし、右供述は、杉山及び石井は、右当日には、静岡銀行の前記被控訴人名義の普通預金口座から一三〇〇万円を引き出して被控訴人事務所に持参したものの、その後は右金銭に関与しておらず、また三岡司法書士事務所に行っていない事実に明らかに反し、また、三岡司法書士も同事務所で前記大石作成名義及び小長谷作成名義の領収書を見ておらず、当日同事務所で金銭の授受はなかったと思う旨の供述をするに至ったことから、被控訴人の供述はとうてい信用できないものと判断されたこと
(七) 一方、大澤は、昭和五二年一二月中旬ころ、丙野、中澤と一緒に被控訴人の法律事務所に行き、同所で被控訴人から大石分の解決金として二〇〇万円を受け取り、その足で中島屋に行き、大石に二〇〇万円から自己の手数料五〇万円を差し引いた一五〇万円を渡し、その旨の領収書を受領した旨の供述をし、丙野、中澤もこれに副う供述をしていたこと、加えて、大澤は、前記領収書二通はいずれも被控訴人の指示により偽造したものである旨供述しており、右領収書は猪原加代子及び小長谷に対する事情聴取によって偽造された物であることが判明していたこと
以上のような捜査の結果判明した事実や関係者の供述、乙野次郎は被控訴人の負債整理の内容に不信を持ち、被控訴人を解任したこと、乙野次郎は被控訴人解任後新たに弁護士を選任して負債整理にあたり、同弁護士らを代理人として本件告訴に及んだこと、被控訴人の弁解が他の証拠により判明した事実にも反し、裏付けもとらなかったことから被控訴人の供述は信用性に乏しく、大澤、丙野らの供述の方が信用性があると判断したことから、前記六五〇万円と二〇〇万円の差額である四五〇万円は被控訴人が横領したものと判断せざるを得ないとしたものである。
3 ところで、静岡県警は大石に対する現金授受の場所は中島屋であると判断しているのに対し、被控訴人は三岡司法書士事務所であると主張するものであり、被控訴人が段取りによれば三岡司法書士事務所で授受されたはずであると供述していることはともかく、静岡県警の三岡司法書士に対する第一回の事情聴取(三岡第一回調書)では、三岡司法書士から、お昼近くになってようやく被控訴人がお金を届けてくれた旨の供述を得たことによって、大石に対する金銭授受の場所については矛盾する供述が存在することになったのであるから、その矛盾点を捜査すべきであるというべきである。
しかし、静岡県警としては、供述調書は作成しなかったものの大澤に対して再度事情聴取し、解決金の授受は中島屋で行われた旨の供述を得ているのである(原審被告野末)、三岡司法書士に対しても第二、三回の事情聴取を行い、第三回目には三岡司法書士事務所で金銭の授受はなかったように思われるとの供述を得ているのである。もっとも右供述も確信的なものではないが、三岡司法書士は、一貫して、被控訴人から金の受け渡しの仲介を頼まれていた旨及び金銭授受がされたとしてもその金額は一〇〇万円ないし二〇〇万円程度である旨を供述し、かつ、本件大石作成名義の四〇〇万円の領収書及び小長谷作成名義の二五〇万円の領収書は見たことがない旨供述しているのであるから、右三岡司法書士の各供述をもってしても、右三岡司法書士事務所で仮に金銭の授受があったとしても二〇〇万円のほかに四五〇万円が同事務所で授受されたことにはならないのである。被控訴人は、三岡司法書士事務所に被控訴人事務所の女性事務員(岡村節子)が現金六五〇万円を届け、同所で大澤が大石に交付された金銭以外を領得したと主張するようであるが、金の受け渡しの仲介を頼まれていた三岡司法書士が女性事務員が届けた金銭を確認しなかったとは考えがたいところであって、後記のとおり岡村節子も六五〇万円を届けた旨の供述をしていないことをも合わせ考えれば、被控訴人の右主張は仮説の域を出ないというべきである。もっとも、三岡司法書士及び三岡玉枝は、三岡司法書士事務所に背の高い男(大石)と背広の男(大澤)が訪れた後、金が届かないといらいらしていたことを一致して供述しているところであり、昭和五二年一二月一三日に大澤や大石が三岡司法書士事務所にやってきたときには、大石に対する金銭の授受は済んでいなかった可能性が高く、その意味では中島屋で金銭の授受がされたとしてもその具体的時間はなお究明すべき点があったといわざるを得ない。しかしながら、当時の被控訴人の供述(弁解)は、杉山及び石井が段取りに従って六五〇万円を三岡司法書士事務所に届けたはずであるというものに過ぎなかったところ、杉山らが金銭を届けたとの事実は認められなかったのである。
右の諸事情に照らせば、前記のとおり現金授受の場所について矛盾する供述が存在していたからといって、本件検察官に対する書類送付ないし公表の時点において、静岡県警が通常行われるべき捜査を怠ったとまでいうことはできない。なお、静岡県警は本件検察官に対する書類送付以前にも別表のとおり多数の被控訴人事務所関係者などから事情聴取しているが、本件金銭の流れの解明に資するような供述は得られなかったものである(乙五四、七四ないし八一、九二)。
また、被控訴人は右書類送付後、昭和五二年一二月一三日に被控訴人事務所の事務員に解決金を三岡司法書士事務所に届けさせた旨供述するようになり、被控訴人の妻甲野春子は、杉山らから交付を受けて自宅に保管していた一三〇〇万円の内から六五〇万円について、一〇〇万円六束と一万円札五〇枚を岡村節子にしっかり数えさせて、渡し、被控訴人の指示に従って同人に右金員を持たせて三岡司法書士事務所へ行かせた旨、被控訴人の右供述に副う趣旨の証言をしている(甲一七七)のであるが、静岡県警は検察官への書類送付以前に甲野春子に対する事情聴取をしていない。しかしながら、甲野春子の右証言のように六五〇万円という高額の金員を、かつ、正確に数えて運んだのであれば、そのような非日常的な出来事については記憶していると思われるところ、岡村節子は静岡県警の事情聴取に対しても右金員の流れについては明確は供述をせず、供述調書の作成にも応じなかったし、静岡県弁護士懲戒委員会の審問期日においては、お金を三岡司法書士事務所に届けてくれといわれた記憶はない、三岡先生のところに、被控訴人の自宅経由で風呂敷包みを預かって出かけたことは何回かあるが、現実に自分でお金を数えたという記憶はないから、それがお金であったか、それが一三日であったかというのはわからない旨述べているのであって、右岡村節子の供述に照らせば甲野春子の前記証言は信用しがたいし、前記のとおり、岡村節子が三岡司法書士事務所に六五〇万円を届けていれば、その授受には三岡司法書士が立ち会い、授受を領する領収書の交付も確認したと考えられるが、本件で作成され、被控訴人から乙野次郎に交付された前記大石作成名義及び小長谷作成名義の各領収書はいずれも大石が作成したものではなく(したがって、当日三岡司法書士事務所では作成されていないことになる)、三岡司法書士はこれを確認していないことからすると、当日岡村節子が六五〇万円を三岡司法書士事務所に届けたとは断定しがたいところである。そして、被控訴人は検察官への書類送付以前には、女性事務員が六五〇万円を三岡司法書士事務所に届けたとは供述していなかったのである。したがって、静岡県警が右書類送付以前に甲野春子に対する事情聴取をしなかったことが通常行われるべき捜査をつくさなかったことになるとはいえない。
さらに、被控訴人は、昭和五七年一一月四日の事情聴取を最後に静岡県警が被控訴人に対する事情聴取を行わなかったことは捜査の常道に反し、被控訴人の防御権を侵害するものである旨主張する。しかし、被控訴人は、自らが事情聴取を受ける前に、報道機関から乙野次郎から告訴状がでたことについてのコメントを求められ、違法捜査には屈せず立ち向かう旨決意を述べ、有賀弁護士に依頼して、本件告訴代理人である中村順英弁護士に接触し、また葉山岳夫弁護士に記録検討を依頼し、自らも三岡司法書士を訪ねて、昭和五二年一二月一三日の同司法書士事務所の様子を尋ね、同司法書士から、女の子が金を持ってきたように思う旨の話を聞いていたにもかかわらず、被控訴人は前記のとおり当日は段取りどおり杉山と石井が六五〇万円を三岡司法書士事務所に届けた、本件の大石作成名義の領収書及び小長谷作成名義の領収書は、杉山が被控訴人事務所の職員に託して帰った、右領収書は大澤ではなく事務所の職員から受け取った旨供述していたもので、その供述に格別の動揺もなかったのであるから、静岡県警において昭和五七年一一月四日の事情聴取を最後に、検察官に対する書類送付以前に被控訴人に対する再度の事情聴取をしなかったことが、静岡県警において通常行うべき捜査を怠ったとか、被控訴人の防御権を侵害したということはできない。
次に、被控訴人は、昭和五七年一一月四日の事情聴取に際しては、事務所日誌(甲一五号証)を持参して供述しているのであるから、静岡県警は右日誌の存在を知っていたものであるのに、その任意提出を求めていない。しかし、被控訴人が他の事件の関係では右日誌の記載についても守秘義務を負っていることは被控訴人の自認するところであり、被控訴人が右日誌の任意提出に応じたか否かは明らかでないし、右日誌には、当日(昭和六二年一二月一三日)一四時三五分に三岡司法書士から大石の根抵当権の抹消登記関係の書類を受領した旨の記載、同日一四時四一分に三岡司法書士から後援会事務所に被控訴人と至急連絡を取りたい旨の電話があった旨の記載等があるが、右記載に基づいて被控訴人が金銭の流れを説明したことを認めるに足りる的確な証拠はなく、当時の被控訴人の弁解は前記のとおりであったのであるから、静岡県警において、本件検察官に対する書類送付の時点で右日誌の任意提出を求めなかったことが通常行われるべき捜査を行わなかったことになるとまではいえない。
なお、本件業務上横領容疑は、被控訴人が大澤に領収書の偽造を指示するなどした上で乙野次郎から預り保管中の四五〇万円を横領したというものであるから、当時被控訴人が弁護士として活動し、かつ、衆議院議員選挙への立候補を予定して後援会事務所を開いて政治活動を行っていた状況に照らし、被控訴人がこのような犯行に及ぶ動機についてこれを十分解明することが望ましいというべきではあるが、被控訴人が右のような政治活動をするについては多額の金銭が必要になること、少なくとも資金は潤沢である方がよいことは容易に推認できるところであり、本件のような業務上横領容疑について、検察官に対する書類送付の時点までに右のような動機についてもすべて解明していなければならないとまでは解されないし、前記大石作成名義の領収書等についての指印の指紋照会を右書類送付前には行っていないが、既に右領収書は偽造されたものであることが判明していたものといえるのであるし、領収書の流れについては被控訴人が杉山が持参した旨供述していたこと等からすれば、右書類送付前にそれ以上動機の点について捜査をしなかったことが通常行われるべき捜査を怠ったとまではいえない。
4 以上によれば、静岡県警において、本件広報活動の時点で、被控訴人の弁解(供述)は信用性が乏しく、大澤や丙野の供述の方が信用性が高いと判断したことが合理性に欠けるとまではいい難く、右時点までの通常行われるべき捜査活動により収集した資料によって判明した事実や関係者の供述等から、被告が乙野次郎から預かり保管中の四五〇万円を横領したと信じたことには、相当の理由があったものということができる。なお、本件については、静岡県警から静岡地検検察官への書類送付後同地検検察官において本件については嫌疑不十分として不起訴処分がされたことは前記のとおりであるが、そうであるからといってこれが直ちに右の認定判断に影響を及ぼすべきものということはできないし、他に右認定判断を覆すに足りる証拠はない。
三 争点3について
1 乙野次郎らに対する告訴誘導について
前記認定のとおり静岡県警は、昭和五七年九月上旬ころには被控訴人には業務上横領の容疑があると判断し、乙野次郎に告訴するよう強く勧めたものであるが、乙野次郎は、右告訴の勧めに基づき、当時負債の整理等を委任していた中村順英弁護士らに対して告訴手続きをとるよう依頼したため、中村順英弁護士は大蔵弁護士らとも相談し、自らも調査をした上、告訴代理人となることを承諾したことから、本件告訴がなされたとの経緯に照らせば、静岡県警の強い勧めがあったとはいえ乙野次郎は法律専門家に相談した上自らの判断で本件告訴に及んだものというべきであるから、静岡県警の告訴の勧めが違法なものであったとまでいうことはできない。
2 三岡司法書士に対する違法な供述工作等の有無
静岡県警の三岡司法書士に対する事情聴取の経緯及び重要参考人の複数の供述調書の間に供述の変遷や矛盾がある場合には、事件記録を検察官に送付する際には、これらの供述調書の全部を送付すべきものであることは原判決書一一九頁八行目から同一二二頁二行目までに記載のとおりである。本件においても三岡第一回調書と三岡第三回調書とは供述内容に変遷があるから、三岡第一回調書は第二回、三回調書とともに検察官に送付されるべきであったということができる。しかしながら、検察官に送付すべき書類の一部を送付しなかったからといって、そのことが直ちに被疑者との関係で違法となるものではないし、そのことによって検察官に誤った起訴をさせるに至るなど被疑者たる被控訴人に対し何らかの損害を与えたという事実を認めるに足りる証拠もない。
3 大澤の虚偽供述利用の有無
この点に関する当裁判所の判断は、原判決書一二三頁九行目から同一二四頁八行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
4 被控訴人の防御権に対する不当な侵害の有無
静岡県警が被控訴人の防御が可能な程度の被疑事実を告知しなかったとは認められないことは、原判決書一二五頁三行目の「原告の取調にあたった」から同一二六頁二行目末尾までに記載のとおりであるから、これを引用する。また、被控訴人に対する事情聴取が昭和五七年一一月四日以降検察官に対する書類送付までの間になされなかったことが、被控訴人の十分な弁明、反証提出の機会を奪い被疑者とされた被控訴人の防御権を侵害するものでないことは既に説示(二の3)したとおりである。
5 静岡県警が虚偽の本件業務上横領容疑を捏造し、被控訴人の犯行と判断して書類送検した違法の有無
静岡県警がことさら虚偽の本件業務上横領容疑を捏造したものでないことは、前記二で説示したところから明らかである。
四 以上検討したところによれば、被控訴人の損害賠償を求める請求は理由がなく棄却されるべきものであるから、これと異なる原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、右部分にかかる被控訴人の損害賠償請求を棄却することとし(謝罪広告の掲載を求める請求を棄却した部分については不服申立がないので判断しない。)、訴訟費用の負担について民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小川英明 裁判官宗宮英俊 裁判官川口代志子)
別紙<省略>